京都府のお墓

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【 人物名:一色義清 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:一色稲荷社 】
埋葬者 ・一色義清
名 称 ・一色稲荷社
所在地 ・京都府宮津市字鶴賀
法 名
没 年 ・天正10年=1582年
備 考
歴 史
略 歴
・境内に建立されてる石碑は一色義清自刀之処と刻まれている事から墓碑ではありませんが、江戸時代後期に編纂された「丹哥府志」によると同位置に一色義清の墓が示されている事から、この稲荷社は義清の御霊の鎮魂を願って創建され、それを示す墓碑的なものがあったと思われます。
・墓石の形状・種類:自然石
一色義清:墓碑(お墓)
【 人物名:徳川秀忠・徳川家光 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:大頂寺 】
埋葬者 ・徳川秀忠・徳川家光
名 称 ・大頂寺
所在地 ・京都府宮津市金屋谷
法 名
没 年
年 齢
備 考
歴 史
略 歴
・宮津藩2代藩主京極高廣の正室である茶々姫は池田輝政と徳川家康の次女督姫との娘であった事から、京極家の菩提寺として創建された大頂寺の境内には徳川秀忠と徳川家光の供養塔(宝篋印塔)が建立されています。
・墓石の形状・種類:宝篋印塔
徳川秀忠・徳川家光:墓碑(お墓)
【 人物名:松井正之 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:宗雲寺 】
埋葬者 ・松井正之
名 称 ・宗雲寺
所在地 ・京都府京丹後市久美浜町
没 年 ・永禄6年=1563年
備 考 ・松井正之は室町幕府12代将軍足利義晴の重臣と仕えましたが、比較的年齢が若い時期の永禄6年に病死したとされます。跡を継いだ長男勝之も13代将軍足利義輝の重臣だったと推定され永禄8年の永禄の変で義輝が討死すると殉死しています。その後、次男康之が家督を継ぎ天正15年に南禅寺住持で叔父である玄圃霊三和尚を招いて宗雲寺を再興し松井家の菩提寺とし、正之と母法寿の墓碑を境内に遷しています。
松井正之:墓碑(お墓)

【 人物名:小野小町 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:妙性寺 】
埋葬者 ・小野小町
名 称 ・妙性寺
所在地 ・京都府京丹後市大宮町五十河
法 名 ・小野妙性
没 年 ・平安時代
備 考 ・世界三大美女として知られている小野小町は日本三景の天橋立の観光と名刹 成相寺の参拝する為に当地を訪れた折、重い病に罹り動けなくなりました。当村の上田甚兵衛宅で療養を余儀なくされましたが、そのかいなく当地で亡くなったと伝えられています。小野山妙性寺は小野小町が開基になったと伝わる曹洞宗の寺院で、近隣には小町の墓碑が建立されています。
小野小町:墓碑(お墓)
【 人物名:峯山京極家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:常立寺 】
埋葬者 ・峯山京極家
名 称 ・常立寺
所在地 ・京都府京丹後市峰山町吉原
備 考 ・京極高通は朽木宣綱の次男でしたが母親が京極高吉の娘だった事から、京極高知から見ると甥にあたり高知の娘を正室として迎えた事で婿養子となっています。その後、徳川秀忠の小姓として3千石を賜り、高知の遺領1万石が分け与えられた事で、1万3千石で峰山藩を立藩しています。

高通は玉葉山光明寺を京極家の菩提寺に定め、3代藩主京極高明が寺号を安泰山常立寺に改めています。境内には峯山京極家歴代の墓碑が建立されています。

峯山京極家:墓碑(お墓)
【 人物名:森田治郎兵衛 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:常立寺 】
埋葬者 ・森田治郎兵衛
名 称 ・常立寺
所在地 ・京都府京丹後市峰山町吉原
没 年 ・延享元年=1744年
備 考 ・森田治郎兵衛は丹後縮緬創始者の一人で、一子相伝とも云われた京都西陣織の撚糸技術を、現在でいう産業スパイのような行為の末、その技術を習得し峰山で縮緬製織を始めました。峰山藩も重要視し、当時名乗っていた佐平治に御抱え縮緬屋として森田治郎兵衛の名を与え縮緬保護に努めています。
・墓石の形状・種類:大名墓
森田治郎兵衛:墓碑(お墓)

【 人物名:綾部九鬼家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:隆興寺 】
埋葬者 ・綾部九鬼家
名 称 ・隆興寺
所在地 ・京都府綾部市神宮寺町上藤山
法 名
備 考 ・九鬼家は九鬼水軍を擁する海賊だった家柄で、現在の伊勢志摩や鳥羽を本貫とする大名でした。鳥羽守隆が死去すると御家騒動が発生しその罪によって改易、その後、3代将軍徳川家光が改めて綾部領2万石を九鬼隆季に与え綾部藩を立藩しています。綾部藩が成立した際、綾部九鬼家の菩提寺として隆興寺が創建され、境内には九鬼家の墓域が整備されています。
・墓石の形状・種類:五輪塔
綾部九鬼家:墓碑(お墓)
【 人物名:足利尊氏 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:安国寺 】
埋葬者 ・足利尊氏・母の清子・妻の登子
名 称 ・安国寺
所在地 ・京都府綾部市安国寺町寺ノ段
備 考 ・丹波国何鹿郡八田郷は上杉荘と呼ばれる荘園で、建長4年に勧修寺重房が領主として赴任し、重房は地名に因み上杉姓を掲げました。2代上杉頼重は娘である清子を足利貞氏に嫁がせ、その子供が室町幕府初代将軍足利尊氏とされます。上杉家と安国寺は強い繋がりがあり、境内には尊氏出産の際に利用したと伝わる産湯の井戸や足利尊氏・母の清子・妻の登子の墓碑が建立されています。
・墓石の形状・種類:宝篋印塔
足利尊氏・母の清子・妻の登子:墓碑(お墓)
【 人物名:福知山朽木家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:円覚寺 】
埋葬者 ・福知山朽木家
名 称 ・円覚寺
所在地 ・京都府福知山市土師町
備 考 ・朽木家は近江国高島郡朽木谷を本貫とする氏族で、朽木稙綱は分家筋でありながら徳川家光の側近として御小姓番頭、奏者番などの要職を歴任し諸侯に列しています。朽木稙昌は土浦藩から加増され福知山藩に入封し、以後、明治維新まで朽木家が藩主を歴任しています。円覚寺は朽木家の菩提寺として赴任地に随行し、境内には7代藩主朽木舗綱、12代藩主朽木綱張、13代藩主朽木為綱とその妻の墓碑が建立されています。
・墓石の形状・種類:大名墓
福知山朽木家:墓碑(お墓)
【 人物名:形原松平家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:光忠寺 】
埋葬者 ・形原松平家
名 称 ・光忠寺
所在地 ・京都府亀岡市北古世町2丁目
法 名
備 考 ・形原松平家は三河国宝飯郡形原を本貫とする氏族で、桶狭間の戦いで今川家の没落と共に徳川家に従い、以降、譜代大名として各地に従軍に功を挙げ地位を確立しています。寛延元年に松平信岑が丹波亀山藩5万1千石に入封し、以降、明治維新まで藩主を歴任しています。光忠寺は形原松平家の菩提寺として赴任地に随行し、境内には同家の墓域が整備されています。
・墓石の形状・種類:大名墓
形原松平家:墓碑(お墓)

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