宮城県の歴史上の人物の御墓

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【 人物名:茂庭家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:石雲寺 】
埋葬者 ・茂庭家
名 称 ・石雲寺
所在地 ・宮城県大崎市松山千石大欅
法 名
没 年
備 考
歴 史
略 歴
・茂庭家は斎藤行元を初代とし、実良の代から陸奥国伊達郡茂庭を本貫として「鬼庭」姓を掲げました。その後、伊達家の家臣として各地に従軍、及び伊達家が本拠地を変える度に随行しています。慶長8年に陸奥国志田郡松山郷を与えられ明治維新まで領主を歴任しています。
・墓石の形状・種類:霊廟、五輪塔、和型墓石等
茂庭家:墓碑(お墓)
【 人物名:伊達政宗 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:瑞鳳殿 】
埋葬者 ・伊達政宗
名 称 ・瑞鳳殿
所在地 ・宮城県仙台市青葉区霊屋下
法 名 ・瑞巌寺殿貞山禅利大居士
没 年 ・寛永13年=1636年
年 齢 ・70歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達政宗は伊達家第17代当主で、摺上原の戦いで蘆名氏に勝利し南奥羽を席捲しました。小田原合戦で遅参した事で黒川城から米沢城、さらに大崎一揆の不手際により岩出山城に移封になりました。関ヶ原合戦で東軍に与し、本城を仙台城に遷し仙台藩を立藩しています。
伊達政宗:墓碑(お墓)
【 人物名:伊達忠宗 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:感仙殿 】
埋葬者 ・伊達忠宗
名 称 ・感仙殿
所在地 ・宮城県仙台市青葉区霊屋下
法 名 ・大慈院殿義山崇仁大居士
没 年 ・万治元年=1658年
年 齢 ・60歳
備 考
歴 史
略 歴
伊達忠宗は慶長4年に伊達政宗と陽徳院との子供として生まれ、寛永13年に仙台藩2代藩主になっています。忠宗は仙台藩の基礎を固めた人物で、諸制度の制定や新田開発を積極的に行い仙台城も近代化にも尽力しています。文化的にも貢献し瑞鳳殿の造営や圓通院、陽徳院、仙台東照宮などを創建しています。
伊達忠宗:墓碑(お墓)
【 人物名:伊達綱宗 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:善応殿 】
埋葬者 ・伊達綱宗
名 称 ・善応殿
所在地 ・宮城県仙台市青葉区霊屋下
法 名 ・見性院殿雄山全威大居士
没 年 ・正徳元年=1711年
年 齢 ・72歳
備 考
歴 史
略 歴
伊達綱村は寛永17年に伊達忠宗と貝姫との子供として生まれ、万治元年に仙台藩3代藩主となっています。万治3年、不行跡を理由に強制隠居となりますが嫡男伊達綱村は幼少だった事で藩政の影響力は大きく塩釜神社榴岡天満宮の造営を行い、芸術作品も多数残されています。
伊達綱宗:墓碑(お墓)
【 人物名:阿梅 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:当信寺 】
埋葬者 ・阿梅
名 称 ・当信寺
所在地 ・宮城県白石市本町
法 名 ・阿梅:泰陽院殿松源寿清大姉
没 年 ・阿梅:延宝9年=1682年
年 齢 ・阿梅:83歳
備 考
歴 史
略 歴
・阿梅は真田幸村と高梨内記の娘、又は大谷吉継の娘・竹林院との娘として生まれました。大坂の陣のさなか片倉家家臣の乱妨取りにより白石まで連れ来られ侍女として働かされていましたが、出生が判明すると片倉重長の継室として迎え入れられています。
阿梅:墓碑(お墓)

【 人物名:伊達成実 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:大雄寺 】
埋葬者 ・伊達成実
名 称 ・大雄寺
所在地 ・宮城県亘理郡亘理町字泉ケ入
法 名 ・雄山寺殿久山天昌大居士
没 年 ・正保3年=1646年
年 齢 ・79歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達成実は永禄11年に伊達実元の嫡男として生まれています。天正11年に家督を継ぎ大森城の城主に就任すると伊達政宗の重臣として各地に従軍し戦功を挙げています。一時出奔したものの、関ヶ原合戦直前に帰参し慶長7年以降は亘理城の城主として新田開発など領内整備に尽力しています。
伊達成実:墓碑(お墓)
【 人物名:涌谷伊達家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:見龍寺 】
埋葬者 ・涌谷伊達家
名 称 見龍寺
所在地 ・宮城県遠田郡涌谷町涌谷字龍渕寺
法 名
没 年
年 齢
備 考
歴 史
略 歴
・涌谷伊達家は亘理定宗が初代とされ、定宗の妹と伊達政宗の庶子である宗根が結婚した事から「伊達」姓を掲げる事が許され以後、涌谷伊達家と呼ばれ当主は代々伊達安芸を通称としました。仙台藩では一門第四席に列し居城である涌谷城は一国一城令後は要害として整備されています。
・墓石の形状・種類:霊廟、和型墓石(板碑型)等
涌谷伊達家
【 人物名:霊光院 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:養雲寺 】
埋葬者 ・霊光院
名 称 ・養雲寺
所在地 ・宮城県登米市東和町寺池道場
備 考 ・霊光院は登米伊達家第2代当主である白石宗貞の二女として生まれました。宗貞の父親である白石宗直は伊達姓を許されたものの伊達政宗の勘気に触れ伊達姓を剥奪されました。宗貞は家督を継げたものの男子が居なかった事から伊達姓を復する事を条件に伊達忠宗の四男五郎吉を養子に迎え、長女である龍雲院と結婚させました。しかし、五郎吉は幼少期に病死した為、同母弟の辰之助(宗倫)が継ぎ、その正室として二女である霊光院が嫁ぎました。
霊光院:墓碑(お墓)
【 人物名:五郎八姫 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:天麟院 】
埋葬者 ・五郎八姫
名 称 ・天麟院
所在地 ・宮城県宮城郡松島町松島字町内
法 名 ・天麟院殿瑞雲全祥尼大姉
没 年 ・万治元年=1658年
年 齢 ・68歳
備 考
歴 史
略 歴
・五郎八姫は伊達政宗と愛姫との子供として生まれました。二人の子供としては唯一の女子だった事から篤く寵愛を受けたようです。徳川家康の6男である松平忠輝の正室として嫁ぎましたが元和2年に忠輝が改易になった為、実家のある仙台に戻っています。キリシタンだったようで生涯再婚はしませんでした。
五郎八姫:墓碑(お墓)

【 人物名:小野小町 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:小野小町の墓 】
埋葬者 ・小野小町
名 称 ・小野小町の墓
所在地 ・宮城県大崎市古川新田
法 名
没 年
備 考
歴 史
略 歴
・伝承によると、小野小町が故郷である秋田に戻る途中、新田夜烏の里に着いた際、重い病を患ってしまいました。小町は力を振り絞り当地に草庵を設け薬師如来に大病快癒の百日参りをしたものの、最後の一日を残して死んでしまいました。村人達は小町を哀れに思い墓碑を立てて篤く弔ったと伝えられています。
・墓石の形状・種類:自然石
小野小町:墓碑(お墓)
【 人物名:伊達宗泰 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:岩出山伊達家霊廟 】
埋葬者 ・伊達宗泰
名 称 ・岩出山伊達家霊廟
所在地 ・宮城県大崎市岩出山町
法 名 ・実相寺殿苔巌青公大居士
没 年 ・寛永15年=1639年
年 齢 ・37歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達宗泰は伊達政宗と祥光院との子供として生まれました。慶長8年に政宗が本城を岩出山城から仙台城に遷すと岩出山城に3千石で配されています。寛永4年に従五位下三河守に叙任され、1万670石に加増されましたが、事実上の定府大名だった為、岩出山で采配を振るう事は殆ど無かったとされます。
伊達宗泰:墓碑(お墓)
【 人物名:片倉家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:片倉家歴代廟所 】
埋葬者 ・片倉家
名 称 ・片倉家歴代廟所
所在地 ・宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山
法 名
没 年
備 考
歴 史
略 歴
・片倉家の祖は信濃国伊奈出身とされ、その後陸奥国に入ると伊達家に従いました。一方、神職として一面があり片倉景重は安久津八幡神社成島八幡神社の神官だった説があります。片倉小十郎景綱は伊達政宗の側近として重用され、仙台城唯一の支城である白石城の城主に抜擢されると明治維新まで後裔が城主を歴任しています。
・墓石の形状・種類:石造阿弥陀仏像
片倉家:墓碑(お墓)
【 人物名:片倉家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:片倉家歴代廟所 】
埋葬者 ・伊達政宗(伊達9世)
名 称 ・東光寺
所在地 ・宮城県刈田郡七ヶ宿町字壇の前
法 名 ・東光寺殿儀山圓孝大居士
没 年 ・応永12年=1405年
年 齢 ・53歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達政宗は正平8年/文和2年に伊達宗遠と高明院(結城宗広娘)との子供として生まれました。天授3年/永和3年に家督を相続すると出羽国置賜郡に侵攻し長井氏に勝利しています。伊達政宗の乱では鎌倉方の結城満朝や上杉氏憲と戦い何とか凌ぎ、本拠地を高畑城に遷しています。
伊達政宗(伊達9世):墓碑(お墓)

【 人物名:佐沼亘理家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:亘理家廟所 】
埋葬者 ・佐沼亘理家
名 称 ・亘理家廟所
所在地 ・宮城県登米市迫町佐沼字内町
法 名
没 年
備 考
歴 史
略 歴
・亘理重宗の婿養子となった伊達政宗の庶子・宗根は重宗の隠居領である栗原郡高清水城を継承し亘理家の家督を継ぎました。宝暦7年に亘理倫篤が佐沼要害に遷り、以後、明治維新まで佐沼亘理家が代々城主を歴任しています。仙台藩では御一家の格式で5千石、主に大番頭や各種奉行などを担いました。
・墓石の形状・種類:和型墓石、宝篋印塔
佐沼亘理家:墓碑(お墓)
【 人物名:津田家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:津田家廟所 】
埋葬者 ・津田家
名 称 ・津田家廟所
所在地 ・宮城県登米市迫町佐沼字内町
備 考 ・津田家の初代津田景康は幼少の頃から伊達政宗に従い天正19年に佐沼城千五百石に抜擢されています。その後も新田開発など領内整備に尽力し8千石となりましたが、3代景康は伊達騒動の際、岳父・伊達宗敏や義兄・原田宗輔と共に伊達宗勝派の中心人物だった事から、騒動の処分として強制隠居の上、4千石に減じられています。さらに宝暦の大飢饉の際の不手際から宝暦6年に改易となっています。
・墓石の形状・種類:和型墓石
津田家:墓碑(お墓)
【 人物名:伊達宗倫 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:覚乗寺高台院霊屋 】
埋葬者 ・伊達宗倫
名 称 ・覚乗寺高台院霊屋
所在地 ・宮城県登米市登米町寺池上町
法 名 ・高台院殿天山宗清大居士
没 年 ・寛文10年=1670年
年 齢 ・31歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達宗倫は寛永17年に伊達忠宗の五男として生まれています。寛永21年に登米伊達家に養子に入り家督を継承していた兄である五郎吉が病死すると、代わって宗倫が養子となり宗貞の二女である霊光院を正室に迎えています。特に新田開発に尽力し大きく石高を挙げています。
伊達宗倫:墓碑(お墓)
【 人物名:葛西家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:龍源寺 】
埋葬者 ・葛西家
名 称 ・龍源寺
所在地 ・宮城県登米市登米町寺池道場
備 考 ・葛西家は、豊島清元の三男清重が下総国葛西御厨を本貫とした事から「葛西」姓を掲げたのが始まりとされます。清元は源平合戦に従軍した事で御家人となり、奥州合戦で戦功を挙げ奥州総奉行に抜擢されています。その後、後裔が石巻城を拠点として勢力を広め、さらに本拠を寺池城に遷しています。小田原合戦に参陣しなかった事で改易となり抗ったものの奥州仕置軍により鎮められたと云われています。
・墓石の形状・種類:五輪塔
葛西家:墓碑(お墓)

【 人物名:伊達光宗 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:圓通院(三慧殿) 】
埋葬者 ・伊達光宗
名 称 圓通院(三慧殿)
所在地 ・宮城県宮城郡松島町松島町内
法 名 ・円通院殿要山透関大居士
没 年 ・正保2年=1645年
年 齢 ・19歳
備 考
歴 史
略 歴
・伊達光宗は寛永4年に伊達忠宗と振姫(孝勝院)との子供として生まれました。次男でしたが長男である虎千代丸が若年で病死した事から世子となり徳川家光より偏諱を賜っています。しかし、正保2年に仙台から日光東照宮に参拝しそのまま江戸に参府すると体調を崩しそのまま江戸で病死してます。・墓石の形状:霊廟+厨子
伊達光宗:墓碑(お墓)
【 人物名:支倉常長 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:円福寺 】
埋葬者 ・支倉常長
名 称 ・円福寺
所在地 ・宮城県柴田郡川崎町大字支倉宿
霊 名 ・ドン・フィリッポ・フランシスコ
没 年 元和8年=1622年
年 齢 ・51歳
備 考
歴 史
略 歴
・支倉常長は仙台藩の藩士で主君伊達政宗の命によりヨーロッパに遣欧使節の正使としてガレオン船サン・ファン・バウティスタ号でヨーロッパ諸国を歴訪し数年間滞在の後に帰国しました。しかし、国内では幕府によるキリスト教禁止令が発令されていた事から、その成果は評価されず2年後に死去しています。・墓石の形状:宝篋印塔
支倉常長:墓碑(お墓)
【 人物名:川崎伊達家 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:龍雲寺 】
埋葬者 ・川崎伊達家
名 称 ・龍雲寺
所在地 ・宮城県柴田郡川崎町小野字龍雲寺前
備 考 ・伊達綱宗の二男である伊達村和は水沢伊達家の養子となり家督を継ぎ領内開発に尽力しています。元禄8年、兄である伊達綱村から3万石を分知されると水沢藩は甥の吉之助に譲り、改めて中津山藩を立藩しています。しかし、元禄12年に家臣の不手際から謹慎処分となり中津山藩は廃藩となっています。享保7年に村和が死去すると跡を継いだ伊達村詮が一門第九席に列し、川崎要害2千石で復権。以後、川崎伊達家が要害主を歴任しています。・墓石の形状:和型墓石
川崎伊達家:墓碑(お墓)
【 人物名:陸奥国司 】・【 埋葬地(お墓)・歴史・由緒:龍雲寺 】
埋葬者 ・陸奥国司
名 称 ・龍雲寺
所在地 ・宮城県柴田郡川崎町小野字龍雲寺前
法 名
没 年 ・推定 藤原実方:長徳4年=999年
備 考
歴 史
略 歴
・詳細は判りませんが龍雲寺の門前には陸奥国司の壇(墓)と呼ばれる墳が残されています。当地と陸奥国司との関係があるとすれば藤原朝臣実方中将の可能性があるとも云われ、案内板によると出羽国の千歳山を見学の後、名取の笠島道祖神の前で落馬して死亡している事から当地を通過したとも考えられます。
・墓石の形状・種類:自然石
陸奥国司:墓碑(お墓)

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